青春18きっぷの旅


 常滑やきもの散歩道・名古屋徳川美術館 ちょっと楽しい旅をして来ました。
出発の7月20日は梅雨空を心配しながらも参加者全員が大阪駅「旅立ちの鐘」に予定通りに集合、07時04分発米原行き新快列車に乗車、当日は平日の為予想していた以上の乗客で座席確保もままならない混みようであった。通勤客からすれば我々のような物見遊山の客は迷惑だったかも知れない。
途中米原、大垣で乗り換え金山まで、金山から名鉄で午前10時30分すぎ、一行6名は名鉄常滑駅に到着した。乗り過ごすと海を渡って中部国際空港まで行ってしまう。
常滑は日本六古窯の一つに数えられる焼物の町だという。明治以降朱泥急須や招き猫などの他工業品として土管、タイル、衛星陶器、植木鉢など製品は多岐にわたっている。今にも降り出しそうな梅雨空は暑さもほどほどで願ってもないお天気といえる。
駅構内の観光プラザでは世界のタイル博物館へ行くならバスに乗るように勧められる。それにやきもの散歩道は完歩するよう強く勧められた。
世界のタイル博物館、窯のある広場・資料館イナックス・ライブミュージアムは同名のバス停から歩いて2,3分のところにあり、まず世界のタイル博物館に入館する。館内には、オリエント、イスラーム、スペイン、オランダ、イギリス、中国、日本の各展示室分れており、夫々絵柄に特徴があって飽きない。   
 
世界のタイル博物館、窯のある広場・資料館
 イナックス・ライブミュージアムは同名のバス停から歩いて2,3分のところにあり、まず世界のタ
イル博物館に入館する。館内には、オリエント、イスラーム、スペイン、オランダ、イギリス、中国、
日本の各展示室分れており、夫々絵柄に特徴があって飽きない。
 
   
まっている。底辺が7x15bもあろうかという半円形の窯の内壁は、飴色にテカッテいて、実際この窯で土管を焼いていたのだという。煙突もチョット脇に寄せられているが往時を彷彿とさせるには十分すぎるほど巨大で高く説得力がある。一階の窯の廻りには明治から昭和にかけて建てられたビルを飾ったテラコッタが展示されている。
二階は古い便器の数々が展示されており、これらはいずれも水洗化される以前の便器で、実際に使っていた物らしい。見覚えが有るようなないような、臭いが立上って来そうなチョット微妙な迫力がある。
この施設は今年の10月グランドオープンと言う。そのため最後の庭園工事中で、陶楽工房までは泥んこ覚悟でぬかるみを歩かなければならない。躊躇していると杉田さんが代表して見学してくれた。
やきもの散歩道
 タクシーを呼んでやきもの散歩道の出発点、陶磁器会館まで移動する。会館には寄らずに案内板に従って歩く。もう1時近くなってお腹も空いてきたし、お昼は茶房たんぽぽにしよう。
自動車も通れない狭く迷路のように曲がりくねってアップダウンする道は焼物が敷き詰められていたり、擁壁は土管や焼酎の壜が積まれていたりと目を惹きつけられることが多いけれど町は昭和20年代の雰囲気がして妙に懐かしい。
土管坂では思い思いのアングルでシャッターを切る。
 
  
 登り窯広場では水琴窟の音に耳を澄まし、昭和49年まで使用されていたと言う登り窯を見に行く。この窯は前面に石炭を燃やす6ッの焚き口があり、窯の側面の焚き口からは薪をくべて焼くという大仕掛けなもので全長22メートル、最大幅9.5メートルもあるという。さらに煙突が10本もあったという。「ドウだ!大きいだろう」と威張っているようだ。成るほど巨大ではあるが、大きすぎて窯を一回りする気になれない。
心得たもので2,3段あがったところに柵があってこれから上に行けないようになっている。
散歩道はまだ半分残っているのが心残りだが引き返し、デンデン坂を下って回船問屋瀧田家を横に見て駅に向かった。大通りとは無縁の静寂な小径と古い和瓦の家並みだけで十分満足した散歩道だった。

 
 茶房たんぽぽの定食
「茶房たんぽぽ」のことはガイドブックでマークしたのが最初で、市観光商工課にパンフなど送ってもらうよう依頼した時、ついでに昼食処も問い合わせた。彼女のお勧め処をマークしてくれるという。
彼女は和食処もお勧めのようであったが「茶房たんぽぽ」もマークされており、ここを第一候補と内心決めて西宮を出発した。お店は道から2メートルも上がった敷地の一角にあって「谷川」と向かい合っている。先客は一人だけで1時すぎの遅い食事だし、降ったり止んだりの梅雨空で仕込みが底を尽いていないか心配になって「定食は出来ますか」と尋ねてみた。
「今日はこんな天気で、アルバイトの娘も休ませて店を休もうと思ったのですよ。」と谷川節子オーナー。シェフで陶芸家でもある彼女の趣のある作品が店内に飾られている。ビールを一口飲んだところでホタルイカの煮合わせが自作の器に盛って出された。
「おいしい」誰云うとなく声が洩れる。
「これは定食の料理ですか」と長谷川さん。
「ええ、皆さんビールをお召し上がりですから先にお出ししました」これで昼食は定食に決まった。次いできゅうりの酢の物がだされた。少し厚めにカットされたきゅうりがシャキッとした歯ざわりでいい塩梅だ。「カレイは鰭の方からあがってください」とメイタ鰈のから揚げが野菜サラダと盛り合わされて出てきた。予期せぬ好物の出現だ。手前の鰭をチョット外して噛んでみると口中でパリッと弾け散って甘味が 広がる。たちまち手前は裸になってしまう。向う側に取りつく前に頭をかじる。これもいい。
地の菜っ葉も歯にこたえて甘い。瞬く間にすべてが腹に収まってしまった。
格別のご馳走をいただいた様ですっかり寛いでしまう。予定時間がかなりオーバーしてプランナーとしては落第だけれど、遠く常滑まで来てこんなにゆったりと美味しい昼食がいただけるとは想像もしていなかった。もうこれで十分な気分になった。


 徳川美術館  
館は常設展の期間中で閉館の5時まで1時間あまりしかないので、急ぎ足でみて回る。刀剣、旗幟、甲冑など意匠を凝らした名品に見入る。
いずれの品もきれいに手入れされていて数百年も経っているとはとても思えない。これは次の間の能装束や古文書の類も同様で保存状態が優れて良好ということだろう。名古屋城の二の丸御殿にあった茶室や能舞台と殿様の面会室である広間、黄金の上段の間が、忠実に再現されて目の前に展開されている。
尾張藩の古文書・古地図の展示室では城下の住宅地図などもあって市内在住者には今昔の比較が出来て興味が尽きないだろう。
例の「お畳奉行の日記」がガラスケースに収まっていた。なにが書いてあるのかサッパリ判読ができない。ワープロがあったら使って欲しかったと思う。
複製と映像ではじめて国宝の「源氏物語絵巻」をみる事が出来た。あでやかな色彩、流麗な文字。これはやっぱり世界に誇る日本の芸術に違いない。慌しい入館だったけれど、国宝9件、重文57件も収蔵する美術館ということを後で知って、もっと早めに行ってボランティアガイドの解説付きで見学すればもっと充実した時間になったろうと悔やまれる
  

  
矢場とんの味噌かつ丼   
 土地の人に聞くと名古屋のうみゃぁもんの第一は味噌煮込みうどん、第二は味噌かつ、ひつまぶし、きしめん、そして名古屋コーチンと続くそうだ。今回どうしてもこの味噌かつが食べてみたかった。それも本家の「矢場とん」の味噌かつ丼でなくては叶わない。
徳川美術館の黒門前からタクシーに分乗して矢場とんまで一走り。これが思わぬ誤算で1700円近くもかかってしまう。後続のタクシーはどうした加減かさらに100円ほど余分にかかったと云ってしばらく賑やかだった。
店内は開店30分後にも拘わらず二階の入り口付近にやっと空席があり早速注文をする。客層は若者が多いようで我々の年配はいないようだ。
丼いっぱいにとんかつが乗っておりご飯が見えない。赤い八丁味噌のタレがかかっている。比較的あっさり味で少し甘味がついている。このボリュームを一気に片付けるのは骨が折れた。味噌ダレも甘く年寄りには少し重い味のようだ。
練り芥子や唐辛子をかけると食味がかわってよいと言うので試してみる。唐辛子がよかった。若者達は千切りキャベツを付け合せに頼んだりしていろいろ趣向を凝らして味わっているようだ。階段の壁には屋台で営業中の古い写真がかかっている。やはり血気さかんな壮者が顧客なのだろうと思った。
(写真は矢場とんのとんかつ丼) 

 
この旅を振りかえって  
  この旅をするに当たって、杉田さんには貴重なアドバイスを数々いただき、たいへん助かりました。
私案としては、はじめ瀬戸市の焼物の里に足を伸ばす計画でしたが「常滑が面白そうだよ」とすすめて下さり、なるほど中部国際空港という最先端の地域と日本六古窯の町とどんなバランスをとっているのか。面白そうだと合点して常滑市を訪ねた結果思わぬ拾い物をしたようで大いに満足しております。
旅行日の設定について、大阪〜名古屋という日本有数の商工業地帯をウイークデーに行楽するのは少し窮屈でした。米原〜名古屋間は往復とも混んでおり大いに緊張しました。願わくは土日を選んでみたいと思います。スケデュールは全体に少し欲張りすぎで遅立ち早帰りが肝要だと痛感しました。
シルバー割引については、今回入館した2館とも割引の恩恵を受けましたが、公式証明書の呈示を求められ毎回「この顔が証明書、ドウだ」というのもスマートではないので今後は「寿手帳」や「免許証」などを携行することを心がけたい。

今回の青春18きっぷの旅お得度 
 JR 普通きっぷ 大阪〜名古屋    6,520円(片道3,260円)
 青春18きっぷ             2,300円
 お得度                 4,220円

 この旅をご一緒した人
      吉川晋也 長谷川秀郎、杉田雅博、森隆子、小林昌子、木野晋良

            この記録は長谷川様、吉川様に写真を提供して頂き編集と校正をお願いして
            完成しました。有り難うございました。(木野)

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