箱根旧東海道トレッキング紀行
        西宮→小田原→箱根→三島→焼津→由比
 
箱根へのアクセスは、三島駅からバスで行くコース、小田原駅からバスで行くコース小田原駅から小田急にて、電車、ケーブルカー、ロープウエーで行くコースなどがある。
箱根は、私にとっては初めてであったことから、贅沢して、電車などの乗り継ぎコースを選んだ。
電車はスイッチバック方式で、駅伝で有名な箱根道に沿ったものであった。ロープウエーの途中駅には大涌谷と言って、温泉地獄が見られ、温泉の臭いと湯気で、箱根は湯量が豊富なことがうかがえる。
第一日のトレッキング開始は、ロープウエーの終点で、芦ノ湖がすぐ近くにある桃源台駅からである。
芦ノ湖は、火山が噴火した後に出来た湖であり、外輪山の大きさから、湖の大きさも想像できる。芦ノ湖には、桃源台から、今日の目的地である元箱根までの遊覧船もでている。ウオークの距離は約6kmである。芦ノ湖を横に見ながらトレッキングできることを楽しみにスタートしたが、道は整備されているが、芦ノ湖は全く見えない山林の中を歩くコースでがっかりである。コースの途中には、駒ヶ岳へのロープウエーの駅があるが、今日の天気では、山頂は雲の中で、姿はみえない。出発から一時間弱で元箱根のホテルに到着し、今日のトレッキングは終了した。
ホテルでは、疲れた足を癒すために、早速ユカタに着替えて温泉に入る。温泉から部屋に戻って気が付いたのは、着ているユカタに大きな穴があいてる。このようなユカタを置いておくのは、なんたることかと、直ぐ電話して別のユカタを頼む。どのような謝りをするのか、気になっていたが、私の気持ちとは別の言葉が出てきた。クリーニング店にまかせているので、そこまで、目が届かず申し訳ないとのこと。この言葉に、少し頭ににきて、最終的にお客に出すのはホテルではないのかと、ホテルとしての管理がなっていないときつく言ってしましった。些細なことで、言ったことを少し後悔し、夕食につく。夕食の中に、先ほどのホテル側の失態に対してことか、カニが別に付いて出された。しかし、美味しいはずのカニの味も半減になってしまった。
翌日は良い天気であることを祈って床につく。

箱根ケーブルカー

大涌谷

芦ノ湖沿いのトレッキングロード

芦ノ湖の遊覧船

遠くに見える元箱根

元箱根
翌日は、期待に添わず、雨が時々パラパラする曇り空である。
二日目のスタートは元箱根からバスで20分程度かかる箱根峠から三島駅までの箱根旧東海道を歩くコースである。
旧街道については、今も管理が行き届き、石畳の道がかなり続き、途中、全く人に会うことなく暗い杉並木を歩く。石畳は濡れているため、よく滑るので、転ばぬように、注意して歩くが、それでも時々滑ってしまう。昔の人は草鞋でこの道を歩たのか。苔むした石、石の上を落ち葉にて飾られたこの箱根旧東海道はタイムトンネルして弥次喜多さんになった錯覚さえ、感じさせられる。歩きながら、口ずさむのはやはり、箱根八里の唄
「箱根の山は 天下の険 函谷関も物ならず 万丈の山 千仞の谷 前に聳え後に支う 雲は山をめぐり 霧は谷をとざす 昼猶闇き杉の並木 羊腸の小径は苔滑か一夫関に当るや 万夫も開くなし 天下に旅する剛毅の武士 大刀腰に足駄がけ 八里の岩ね踏み鳴らす 斯くこそありしか往時の武士」である。
コースの途中に雲助徳利の墓に出会う。雲助とは、宿場や街道において荷物運搬や川渡し、駕篭かきに携わった人のことを言うが、この人は大酒飲みではあるが、武芸は達者で箱根東海道を女性でも安心して歩けるように、色々手助けしたそうで、この地の人には有名な人である。尚、墓には徳利が刻まれているが、単に酒のみであったことを表したものか 酒を入れる徳利と墓の名前の徳利との関係は判らない。

箱根旧街道

苔むす箱根旧街道

杉並木の箱根旧街道

雲助徳利の墓
この日は、早朝は雨がぱらつく、あいにくの天気であったが、すぐその雨も止んだ。しかしこの曇り空では、富士山は期待できないと、あきらめていた。
しばらく行くと中山城跡に着く、この城は山の中でも結構大きく、楽しくウオーク出来る道が整備されている。この中を歩いていると、男二人連れでは可哀相と思ったのか、富士山が顔を出してくれたではないか、そこは偶然にも富士山を望む絶景ポイントの表示があり、思わず、絶景なりと声を出してしまった。
その後は、顔を出した富士山を横に見ながら歩く。トレッキングの目的は歩くだけでなく、地元の人との会話が出来ることも、楽しみの一つ。農家の地元の人に出会ったので、毎日富士山を見ながらの生活、うらやましいですねと言ったら、返って来た言葉は、美人の奥さんを持って、毎日見ていたら、美人とも思えなくなるのと同じであるとのこと。
富士山は、毎日見える人にとっては、我々が感じる感動が味わえないと思うと逆に、考えさせられる。
富士山の噴火で積もった火山灰で、野菜の栽培には適しているのか、野菜畑が続き綺麗である。
昼ごろになっため、軽い昼食でもと思い、コーヒショップを探す。偶然にも小綺麗な店を見つけたので、早速中に入る。

中山城跡から見える富士

中山城跡から見える富士

箱根と三島の途中から見える富士

箱根と三島の途中から見える富士

箱根と三島の途中から見える富士
喫茶店に入ると、若くて、美しい人が経営されていた。
早速、サンドイッチとコーヒを頼むと、自家製パンによるサンドイッチとカプチーノがお勧めですよと言われ、美人を信じて、注文する。
しばらくすると、サンドイッチが出されてきた、パンは釜で焼いたような独特のパンで、このパンで野菜などを挟んであった。その後出されたカプチーノを見ると、表面にハートのマークで飾られてあり、少し飲むのが惜し感があり、客に対する心遣いがうれしい。
窓から美しい富士山を見ながら、サイドイッチとコーヒをいただく。実に美味しかった。
美人の経営者に、ウオーク途中で、富士山からの涌水が見えるところがないか、だすねると、有名なのは、柿田川ではあるが、かなり離れるとのことで、駅近くの三島大社にある涌水を教えてくれた。休憩後そこに向かう。途中、安藤広重が描いた地点の紹介があった。写真が掲示ているが、現在の姿と比較すると、川は確かにあるがそれ以外は、全く似ている箇所はない。よくよく考えてみると、私が育った田舎でも今は面影はないことから、なるほどとうなずく。
三島大社に近づくにつれ、家に沿った小川があり、澄み切った水が流れている。
川には、鴨が気持ちよく泳いでおり、川の中は梅花藻がゆらゆらと揺れている姿が見える。花が咲くころはさぞ綺麗だろうなと、咲いている花を想像する。
三島大社に入り、涌水の場所を探すが、なかなか見つからない。ベンチに座っている老人に涌水の場所を聞くと、冬場は涌水が少なく、夏場であれば、涌水は多く、遠くからでも、よく判るとのこと、折角来たのであるから、よく探すと、少しであるが涌き出している所を見つける。しかし、このような所が多いと感じるのは、家沿いに流れる水路の流れを見ると、納得する。

国道1号線沿いにある三島市の旧街道

三島から見える富士

三島大社

三島の小川

三島大社にある湧き水
今夜の宿は、三島から静岡を少し越えた焼津である。焼津は漁港でも有名で、駅前の店には、マグロを加工したものをメインにして色々な加工魚が売られている。
友達は、早速奥さんへの土産物を購入している。しかし、私は何も買わなかった。
今夜のホテルは焼津グランドホテルで、送迎バスにて行く。ホテルは平日にもかかわらずツアー客が多い。夕食は和食であるが、暖かい料理を一品一品出してくれ、心のこもった料理が食べられた。ホテルから海越しの富士山が見られるとのことであったが、あいにく、夕方も朝も見ることが出来ず、朝日ぐらいはと期待したが、これも見れず残念。
次の日は興津から由比までのトレッキング、このウオークは海沿で、みかん畑に沿った道である。道沿いには、すぐ手に取ることができそうなミカンがあり、一つ黙って頂こうかと思ったが、大人が、みかん泥棒ではと思い、畑仕事をしている人を見つけ、早速、美味しそうなミカンですねと、一ついただけませんかと声をかける。いいですよと、気持ちの良い返事が返ってきた。美味しく頂いていると、取り立てのミカンはあまり美味しくないからと、わざわざ家まで行って、袋に積めた沢山のミカンをどうぞとのこと、一つのミカンが沢山のミカンに化けてしまった。
トレッキング開始の時であり、沢山のミカンは重くなると思うが、断るのも、失礼と思い、ミカンをお供にウオーク開始。その時一言、言われたのが、ミカンを持って歩いていると、ミカン泥棒と誤解されるからと、この時のアドバイス、何と言ったか。

焼津グランドホテルからの駿河湾

焼津グランドホテルからの駿河湾

トレッキング沿いのみかん畑
ミカンをくれた人から出た言葉は、
プロであれば、ミカンを取る時、はさみで先ず枝を付けた状態で、大まかに切り取り、その後、さらに根元で切りそろえる。だから、一般の人がミカンを取っても、枝がないか、枝があっても切り口が違うことから、切り口を見せなさいとのこと。宮本武蔵でもあるまいしと、一瞬思ったが親切なアドバイスには感動した。
今日のウオーキングのメインポイントは薩捶峠(さつたとうげ)である。この道は下、中、上の三つの道があり、下道は海岸を通る道ではあるが、本来の道ではなく、波を避けながら通ため、「親知らず子知らず」といって 親、子を顧みる暇がない難所である。「親知らず子知らず」は新潟にもあることを思い出す。
一方、中道は、山を越える道である。この道は、山道ではあるが、駿河湾を見下ろす道で素晴らしい眺めである。ミカン畑と駿河湾を眺めていると、昔の曲で思い出すのは、「ミカンの花咲く丘」

「みかんの花が咲いている  思い出の道 丘の道  はるかに見える青い海  お船がとおくかすんでる」である。

薩捶峠の頂上は、富士山、駿河湾、東名道を一望できるビユーポイントがある。この頂上では、富士山は雲の中、折角西宮からきたのだからと、富士山が顔を出すまで、粘ろうと決め、一時間ほどまった。我々の姿勢を察してか、恥ずかしそうに、少し顔だしては、消えの繰り返しで、美しい姿は結局見せてくれなかった。
万葉の歌人「山部赤人」の有名な歌があるが、写真にはっきり映るような富士を見たかった。
左二つ下の写真は、肉眼では、少し富士は見えていたのだが?。その列の右端はライブカメラの写真である。下記の歌はこの付近かから詠まれた歌ではないかと。
「田子の浦ゆ うちい出て見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪はふりける」
峠で直ぐ気が付いたのは、ライブカメラが設置されていることである。宮脇さんの紹介がなければ、見逃している。
早速、帰ってから、パソコンで調べたら、見つかった。興味のある方は覗いてください。現場に見たカメラを自分のパソコンで方向、ズームが自由にコントロールできるとは感動ものです。」

薩捶峠(ライブカメラが近くに設置)

トレッキングした道(ここから見た富士は綺麗だとか)

国道1号線と東名高速道路との交差
薩捶峠(さつたとうげ)のウオーク途中、道を管理している人に出会ったので、色々話しを聞くとミカンが道沿いに植わっているため、ミカン泥棒がやはり多いとか、農かの人にとっては、ウオーカーをあまり良く見て居らず、道を閉鎖したぐらいだとか、この言葉で、ミカン泥棒しなくてよかったと心の中で思うし、この道を歩く人は我々だけでなく、大勢の人が歩く、一人一人に我々の様な接待をするとすれば、大変である。安易にミカンをもらった行動に対し反省する。
トレッキングの最終地点である由比に近づくと、古い家並みのある通りに入る。確かに、古い家が残されている。道幅も昔のままに狭く、これが、かえって昔の雰囲気を味わうことができる。
由比は、日本一の桜えびの水揚げを誇る所で有名で、通りの名前も「桜えび通り」と付けられている。
お腹が空いたこともあり、美味しい桜えびのかき揚げ丼が食べられる所がないか、探すが、えび そのものを売る店は見かけるが、なかなか見つからない。駅の売店の人に聞くと、漁港にあるとのことで、疲れているが、漁港まで行く。有名な所なのか、自動車で来ている人も多い。
桜えび丼は二枚の桜エビかき揚げが載せられ、みそ汁は、桜えびとワカメが入り、最後の昼食として美味しくいただいた。
三日間のトレッキングを振り返ると天気がもう少し良ければ、言うこと無しであるが、このコースを選んだことに満足。次はどこへ行こうか。
以上で、トレッキング紀行は終わりですが、ウオークが好きな人はお勧めのコースです。
みなさんには、7日間お付き合いして頂き、ありがとうございました。島田

由比の町 遠くに富士山が見える

由比の町

由比の古い家並み

由比桜えび通り(微かに富士が見える)

桜えびのかき揚げ丼(美味しかった)
  
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