東日本被災地を訪ねて

201339日から11日にかけて東日本大震災で被災を受けた、宮城県名取市閖上地域をひょうごボランタリープラザの東日本被災地支援ボラバスで募集支援者とともに、40名は大型観光バス3台で310日津波被害の犠牲者の追悼行事に、「1.17のつどい」で使用した竹灯篭と神戸の希望の灯りから分灯した灯りを灯す追悼式に参加して参りました。

その訪問行程の概略です。

 37日(水)1300〜 東遊園地「希望の灯り」分灯式

             (新聞記事掲載及びテレビ報道)

 39日(金)1700〜 神戸駅クリスタルタワー集合・出発式

        1800〜 摩耶埠頭公園 竹灯篭積み込み

       (1.17のつどいで使用した竹灯篭を再加工で転用新聞記事掲載)

 310日(土)0800〜 宮城県名取市閖上到着・準備作業

              参加したボランテアの多くの方々と竹灯篭、絵燈籠並べ作  

              業に参加、折からの強風で中止になる。

        1546〜  トランペットの奏鳴にて犠牲者を悼み、黙祷をしました。

        〜1800  追悼行事 終了(後片付けをして仙台市内へ)

         2100〜  宿泊舎で入浴、睡眠(バス泊りの疲労回復)

 311日(日)1000〜  宿泊地を出発 仙台市若林区 慈母観音像開眼式 前黙祷

        1200〜  宮城区青葉区勾当台公園 追悼行事参加

              仙台市の追悼行事参加 竹灯篭で描く 

1.173.11 の竹文字

        2100〜  神戸に帰路の為出発

 
   
 閖上中学校前の絵燈籠  竹灯篭で伝えるメッセージ
   
分灯前の堀内圭三(歌*希望の灯り))  絵燈籠での光の回路 

宮城県名取市閖上にて

 

 地震発生後、大津波は15:46に閖上の地を襲い、貞山堀で防護されているので安心していたと多くの市民は口々に言います。

 しかし、想定を超えた津波は瞬時に人々の命を奪ったとのことです。近くの幼稚園の園長は次のように答えています。園児の避難の為、定期的に避難路の確認と訓練は欠かさなかったことがみな無事に避難できたと答えています。常日頃の心構えの大切さと実践を語っていました。

追悼式は日和山から閖上中学校までの数百メートルを逃れようとして犠牲になった被害者の魂を閖上中学校まで、県外各地から提供された絵燈籠で作られた光の回路です。

 東北大学に在学中の吹奏楽部の女子部員が大切にしていたトランペットを背負ったまま、数日後ご遺体で発見され、アルバイトで求めた楽器が遺体の背中に括り付けられて いたと実行委員長は涙声で語ります。

 その逃げられなかった無念の魂に6名の学友が送る、トランペットの奏鳴で黙祷が行われました。

 閖上での津波被災者の死者は1027名(行方不明者119名)と伝えられています。

いまだ遺体の見つからない遺族の悲しみに応えるすべさえありませんでした。

 神戸から被災地に届けられるのは竹灯篭で灯す灯りによる、残された遺族への追悼の想いでした。集まった市民の皆さまローソクの灯りに手を合わせ、涙を浮かべて灯を見つめる姿に、心の悲しみを少しでも癒すことが出来たのかと思うと、参加して良かった

と我々の胸の奥底が熱くなったと参加者が異口同音に口にしていただきました。

被害を大きくした要因に車で逃げようとした五差路の交通渋滞が大きく影響したと伝えられています。

再び、訪問した閖上は20123月に訪問した時のまま、時間が止まったように復興の槌音さえ聞こえない被災地の現状でした。

        合掌

  

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