チヤガルチ市場(韓国釜山)探訪記


 チヤガルチ市場(韓国釜山)探訪記  
  写真-1 埠頭から見た釜山市街

 2008年3月14日 伽耶文化の街:金海市を訪ねての帰路 有名な海産物市場チャガルチを訪れました。 ここには15年ほど前に来た事がありますが、当時の古ぼけた市場の建物は姿を消し、近代的なビルに変わっているのに吃驚しました。 話によると2006年に新ビルが完成、地下2階、地上7階の高層建築物に変わったそうです。変わらないのは1階の330軒もある魚売り場のおばさん達の威勢の良い掛け声、新鮮な一杯に並べられた魚、生臭い匂いと喧騒が醸し出す独特の雰囲気、パワフルな韓国を感ずる場所でありました。
   写真-2 市場ビルの裏側

市場の入り口で老年の日本語と書かれた腕章を着けられたボランチアガイドの方からいろいろお話を聞く事ができました。それによれば1950年時の朝鮮戦争による難民が海岸の地に小屋を建て露天式に海産物を取引したのがチャガルチ市場の始めとか。因みにチャガルチとは砂利と小石の意味だそうです。その上に魚を並べて売ったとか。 1969年に韓国政府と釜山市が海を埋めて露天店の集まりであったチャガルチ市場を整備水産共同組?を作り1970年に地上3階建のチャガルチ市場を開きました。 その後発展し新しいビルに2006年建替えられたとの事です。
   写真-3 市場ビルの表側 ビルの1階で買ったお魚を2階の店に持ち込めば料理をして食べさせてくれるそうです。勿論調理代は取られますが。3階は従業員の食堂など、4階以上にはスカイラウンジ、レストラン、土産物屋などが有るようです。2階には干物が売られていました.。いずれにしても現在では東洋を代表する海産物市場であり釜山の第一の観光地でもあります。市場ビルの表側 に階段が見える。
   写真-4 市場ビルの外側から見た釜山港。 大橋 市街地の高層の建物が見える。
市場ビル1階には沢山の店が有る。各店はテナントとしてビルに入り生簀や水槽を持ちその中に魚を泳がせ客の要望によりさばいて売る様です。
   
 写真-5 市場内風景  写真-6黄色のテーブルは調理してもらった魚を食べるスペース。刺身を食べる人が居る
   
 写真-7 市場内風景  写真-8 正体?明
   
 写真-9 ひらめ、鰈 写真-10 活魚
   
建物の外に屋根架け、露天の魚店が並ぶ。
 写真―11 露天の店
 写真―12 魚売りのおばさん(アジュンマ)
   
 写真―13 魚の処理  写真―14 えいと太刀魚、河豚
   
 写真-15商売 商売!値切り交渉たけなわ  写真-16上の方の魚はたい
上の左方はたいのようだ。日本の様に珍重されないらしい。無造作に置いてある。
まぐろも冷凍物を切ったのをみたぐらい、カンパチ、ヒラマサ等の青物系はあまり見かけなかった。韓国では鍋料理に使う鱈などが珍重されるとの話。 食習慣の差か
   
 写真-17 生き生きとした魚が水槽から跳ねだしている。  
  地図は釜山ナビより転載。有名な 国際市場が近くに在る。 YouTube-韓国釜山界隈(動画)市場の雰囲気がわかります。 ★チャガルチ市場の界隈
http://jp.youtube.com/watch?v=aBxE9S0nM-s ★チャガルチ市場で刺身を
http://jp.youtube.com/watch?v=DUc5kZHPzZg
現在日本とは高速フェリーで3時間たらずで結ばれ(博多―釜山高速ジエットホイル船)短時間で往来できる。 また下関と釜山の間に関釜フェリーが就航している。
韓国国内でもソウルと釜山の間を新幹線で2時間、釜山で買い物食事をして日帰りするのがパターンになっている(バスガイド)370万釜山市民の台所を賄い買出し客の需要にこたえるにしてもあれだけ大量の魚が捌けるのが?思議な気がする。 
 追記 見学中突如サイレンが鳴り響き数分間つずいた。何事かと辺りを見れば通行人も店の人も皆、石のように動作を止め静止している。ボランチアガイドのおじさんは、あなた方は動かないでじっとしていて下さい。空襲に対する民間防衛訓練です。所定の場所に避難しなければなりません。これは毎月1回は行われる行事ですがここ数年は南北の緊張緩和のお蔭で少しルーズになっていたが大統領の政策が変われば厳しくなるであろうと思います。現実は南北は休戦はしたが準戦時状態のままです。日本の方もよく理解してくださいといった。 朝鮮戦争中一時は釜山の近傍の洛東江の線まで北鮮軍に攻め込まれ釜山を頂点とする一郭を死守し国連軍の反撃でようやく回復したが多数の民間人の死傷者と焦土と化した町や村を見た年配の人には耐え難い記憶として残って居るのだとおもう。 終わり 







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