南阿蘇トレッキング紀行(1)



 今回のトレッキングは前回の北海道とは正反対の九州の南阿蘇を中心にしたものになってしまった。出発の四日前から新型インフルエンザにかからないように、外出を控えて当日を待った。相棒は東京からであるためJR西宮駅で、お互いにマスクをした格好で再開する。インフルエンザのこともあり、寄り道することなく神戸六甲フェリー乗り場へ直行する。
フェリーは1万1千トンと大きな船で、安定感がある。我々は四国(徳島)出であるため、本州へは船はかかすことができない。昔乗った船は3千トン程度の小さいもので、部屋は船底にあり、薄暗くて油くさくて、快適とはほど遠いものであった。しかし今は快適な船旅ができる。
船内の楽しみはバイキング料理が用意されているとのことなので、夕食を楽しみに乗船する。

 
 
 
部屋は甲板より上で、デラックス、スタンダード、ツーリストの三段階に分かれており、当然我々は最低ランクのツーリストの部屋に入る。すでに我々と同じ年齢の人が三人が入室されていたため、今夜はよろしくお願いしますと挨拶をかわす。二人は大分へ帰る夫婦づれと、商用帰りの一人の男性である。
夫婦づれは、娘さんが信州に居られるため、そちらからの帰りとか。信州では娘さんの所を基点にして四方へ旅行し、大分では海岸沿い住んでおられことから毎日すばらしい朝日を見て、、散歩は近くの海岸iに行くとかでうらやましい限りの生活である。私が冗談的に是非行ってみたいですねと言うと、是非来てくださいと真面目な返事が返ってきた。それでは29日のフェリーの予約をキャンセルして行きますよとさらに続けると、夫婦は一日とは言わず一週間でもいいですよとのこと、しかし、突然私の相棒が会話のの中に入ってきて、東京へは30日に帰らなければならない用があると言い出し、この話はこれでオジャンになってしまつた。
 
 
 
 翌日は船上での朝日を見たいため、四時過ぎごろ起きる。この時間帯では、あまり起きている人は見かけないし、この時間ではまだ薄暗く、しばらく展望台ロビーで日の出を待つ。
5時になると、薄明るくなってきたので早速甲板に出て、シャッターチャンスを逃すまいと、カメラを構える。海では遮るものがなく、日の出も早い。
地平線の上は少し雲があり、いい感じで個人的には満足できる写真が撮れたと思っている。
   
 大分港へは午前7時到着、これから南阿蘇への旅が始まり、どのような風景に出会い、どのような人との出会いが待っているかと思うと、若者のように少し興奮する。
阿蘇へは国道442号線を選んだ。この街道は旧肥後街道と平行して走り、途中には石畳として有名な今市石畳街道がある。この道は 江戸時代の竹田藩や肥後藩が参勤交代の際通った街道で、今市は宿場町として栄えたそうで、今は660メートルの長さの石畳道路が保存されているのみであるが、石畳道路は生活に不便なため両端は舗装されている。しかし、道沿いに住んでいる人に聞くと、舗装されている道幅は狭いので、車輪の片方が石畳に乗り上げなどの不便を感じているとか、保存のための努力には、ご苦労さまといいたい。

 
   
 ここからさらり車を進めると、田園風景が続くき、途中古びた水車が目に付き早速写真を撮る。次の目標は原尻の滝である。この滝は緒方町にあり、テレビで見たが俳優緒方拳、緒方直人の故郷でもあるとか。原尻の滝はナイヤガラの滝をミニチヤにしたようなものであると聞いていたが、実際見るとなるほどと思う。
滝といえば、一筋の水の流れを想像するが、水の落下口は扇方に広がって点在し、横方向のスケール感がある。
不思議に思うのが、写真から判るように田園風景の中にある滝であり、なぜこのような段差が生じたかである。
 
 
 
 
   
さらに車を進めると、間もなく竹田市に入る。風景を見ながらドライブを楽しんでいると、突然荒城の月の音楽が流れ出し、一瞬判らなかったが、タイヤの摩擦音で音楽を流す粋な工夫がされている。
竹田市には岡城があり、この岡城は
平家が壇ノ浦で滅亡した文治元年(1185)、豊後の豪族である緒方惟栄(これよし)が、源義経を迎えるために築城したのが始まりと伝えられている。岡城跡は国の史跡に指定され、巨大な石垣群が残るだけで、まさに「荒城」と呼ばれるのにふさわしい山城である。岡城跡に登ると、高く聳える断崖絶壁の上に延々と巨大な石垣群が続く、岡城跡の全容から感じるのは、わずか千名の籠城軍で島津勢3万の大軍を退けたという難攻不落の城だったということが実感できる。
岡城ではもう一つ有名なのが瀧廉太郎の名曲、「荒城の月」である。この曲は彼が最も愛したといわれる豊後竹田の岡城阯をイメージして作ったと言われている。
  
 
   
 春高樓の花の宴
  めぐる盃かげさして
  千代の松が
  枝わけいでし
  昔の光いま何處
 秋陣營の霜の色
  鳴き行く雁の数見せて
  植うる劔に照りそひし
  昔の光いまいづこ
 今荒城のよはの月
  替わらぬ光たがためぞ
  垣に殘るはただかつら
  松に歌ふはただあらし
天上影は替らねど
  榮枯は移る世の姿
  寫さんとてか今もなほ
  鳴呼荒城のよはの 

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