パプアニューギニア紀行

                                                               投稿者 松田龍泉

                                                    写真をクリックすると拡大します。

M市のクレインライオンズクラブ(LC)が10周年記念事業として、パプアニューギニア(PNG)高地のチンブー州(州都クンデアワ)コゲ村に学校を建設、寄贈する活動に取組んでおり、その完成、寄贈式に現地へ行く事になった。このLCは妻がメンバーで、私もアクティビティーの手伝いをしているので同行させてもらうことにした。 
この
PNG行きに、私にはもう一つの思いがあった、それは私の父が太平洋戦争時ニューギニアで戦ったことがあったからだ。(父の戦記) 10人の内1人しか帰って来られなかったニューギニアから帰ってきて、戦後30数年を生き、畳の上で死んだ父の幸せを思うと共に、慰霊碑にお参りをして、帰れなかった父の戦友の霊をお慰めすることも、父の供養になるかとの思いもあった。
「成田まで」 
PNGはビザが必要で、写真、申請書を用意して、大使館に申請した。 
村は標高2千メートルの高地で、電気も水道もなく、平地との気温差は15〜20度、宿泊施設も十分で無いとの情報から、持ち物リストには普通の旅行用品の他にマラリアの薬、寝袋、防寒着、山中を歩く靴、虫除け薬、蚊取り線香、懐中電灯、村での食事用に、紙皿、コップ、箸等、水(ペットボトル500
cc3本)からスパッツまで、現地の事情が日本では分らない土地へ行くので、リスト通り持ち物を揃えると、スーツケース2個は満杯状態になった。 
そして、現地の子供たちの学用品や先生用の教材(ノート、鉛筆、野球用品1チーム分、サッカーボール、バレーボール、謄写版、チョーク、用紙など)10〜15キロ分のダンボール箱を1人1箱ずつ持っていくことになった。 
この中で、調達に苦労したのが謄写版であった。3
~40年前なら、学校では必需品、プリントを常時10〜30枚以上作る必要のあるところならどこにでもあったものだが、いまは、カラーコピーを作れる機械が普及しパソコンのある家庭なら大抵コピー機のある世の中になり、謄写版は簡単に手に入るものではなくなっている。探し回ってやっと、大手文房具商の古い倉庫の中に眠っていたものを寄付してもらった。写真添付
 成田ではメンバー総勢34名が揃った、マウエ大使も夫人と共に見送りに来られ、ご子息がコゲ村まで同行して下さるとのことで来られた。大使はコゲ村出身でご実家があると聞いた。

「謄写版」

PNGへ」(1日目)

 21時20分、エアニューギニの週1便の直行便約6時間でポートモレスビーに着く。

 入国手続き、税関もVIP扱いで通過。 空港の柱に不思議な禁止標識が貼り付けてある。上の方は誰が見てもわかる「禁煙」その下は?「虫だろうか?木の実だろうか?」聞いて見ると少し長い説明が返ってきた、

「これは・PNGビーア=ペーテルチューイング・禁止です」「それは何ですか?」「こちらの人達の嗜好品です」「それはどんなものですか?」「若いビンロウやしの実とコショウの一種のキンマの花・葉・茎などに石灰をまぶして口の中で一緒に噛むものです、軽い興奮を催し、精神を高揚させるものです」「つまり麻薬なので禁止なのですね」「ちがいます、それを噛むと口の中が真っ赤になり、そのペーストを吐き出すと、真っ赤な血のように見えて、外国人が血痕と間違えて不気味に思うので、公共の場所では禁止なのです」「へーーーー」

「???禁止」
エアウェイズホテルで昇る朝日を見ながら朝食をとる、ホテルの窓からの景色は鬱蒼としたジャングルを想像していたのとはうらはらに、軟らかそうな草原に潅木があちこちにという景観で、今回行った場所ではジャングルはみなかった。
「PNG高地」

国内線で約50分マウントハーゲンへ、我らを見に来たのか空港には黒山の人だかりであった。日本人がそんなに珍しかったのだろうか?

「チンブー州コゲ村へ」

 4輪駆動車7台が用意され、うち2台は荷物車で我々の荷物と学用品が積み込まれる、メンバーは5台に分乗、拳銃を腰に着けたドライバーとマシンガンとショットガンとライフルを持った警官が3人乗ったパトロールカーが付いてくれる。PNGには「ラスカル」とよばれる武装強盗団が出没するので、政府が付けてくれた護衛だそうだ。

「車列」
「警官」

幹事たちが食料の買出しに行っている間ハイランドホテルのプールサイドでティータイム、12時近くに出発、途中茶畑のある道路際でサンドイッチの昼食をとる。

道路(国道)は舗装されてはいるが、所々大きな穴があいていたり、砂利道が続いたりでドライブはそれほど快適ではなかった。ドライバーの話では、「政府や州の役人が援助の金で私腹を肥やし道路修理に金が廻らないのでこの有様だ」と言っていた。

ときどき、後尾を走っているパトロールカーが車列を追い越して先頭にでて行く、「ラスカル」(武装強盗団)の出没しそうな所では用心のためデモンストレーションをするのだそうな。

沿道の人達は、我々の車に気軽に手を振ってくれる、車列に日の丸を付けているからか、親日感情は良いようだ。沿道の人々はコーヒーを乾しているか、なにをするでもなく群れているかだ。州都クンデアワまで約4時間。

チンブー州の州都クンデアワも人が多い、なにをするでも無く群れているという感じであった。マーケットもありにぎわっていた。少し休憩ののち小1時間でコゲ村に到着。

「ホテル庭」

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