第6回   英語教育    平成18年6月26日 田村 昇三氏投稿

      善魔の  o/~雑学   独り言


 今年は6月10日が旧暦の5月15日である。
五月雨という言葉があるが、これは本来梅雨のことを指している事がわかる。
五月晴れという言葉とともに五月雨という言葉があることから、旧暦の5月は梅雨入りの月であったわけだ。

  すかっとした抜けるような晴天を五月晴れ、鬱陶しい梅雨空を五月雨、昔の人は実にうまい表現をしたものだ。

 さて、英語にはJune Brideという単語がある。
ヨーロッパ、特に北の方では4月から5月にかけて一気に春を迎え、6月は緑豊かでさわやかな初夏の日々が続く。

だから、6月は結婚式には絶好の季節であり、このような単語が生まれる。
6月のすがすがしさと結婚の晴れやかさが重なって、まぶしいくらいの言葉である。

 しかし、June Brideと、英語でそう言っているからとありがたがって6月に日本で結婚式をやったらどうなるか。

中旬過ぎだったら梅雨に入っているわけであり、正装するにはつらい季節となる。なるべくなら梅雨の時期の結婚式は避けるというのが、日本の常であろう。

 June Brideをそのまま「6月の結婚式」と翻訳して日本に持ち込んでも、「なんで梅雨の時期に英国人は結婚式をやりたがるのだろう。
へんな人種だ。」と、心の中で思いながらありがたがることになる。

 言語というのは文化そのものである。
   文化はその地域の気候風土を反映している。

 だから、June Brideと言ってありがたがって日本で結婚式をやったら、それはバカというものである。

 会話をいくら練習しても、単語を覚えても、文法を勉強しても、それだけでは英語の後ろにある「文化」については身につかない。

 その昔、日本でも日本語なんかやめて英語を話すようにしようとか、暴論を吐く学者がいたようであるが、こんなことからもわかるように、それは日本に暮す日本人の根幹を破壊することに等しい。
これは、「学識経験者」なるものが如何に当てにならないかという好例でもあるが。

「神輿」を"portable shrine"と言って、神様を崇拝する気になるだろうか。

 最近、小学校での英語教育の是非をめぐっての議論が活発であるが、こういう基本的なことが理解されていての議論なのだろうか。

「大多数の親が求めていることだから。」という、安易な考えの推進論者もいるようであるが、とんでもない話である。

「大多数の親」のうちの「大多数」は、「周りがみんな必要だといっているから。」という、そんな程度の考え方であろう。
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